こんにちは。
突然ですが、あなたは自分が死ぬ瞬間、何を考えていたいですか?
何を唐突に?と変に思われるかもしれませんね。今日は少し感覚的なお話になるのかもしれません。
暗いニュース
最近、コロナ禍のせいか毎日のように電車の人身事故が起きたり、高いところから投身された人が落ちてきて下の人が巻き添えをくらってご両名が亡くなったり、命にかかわる暗い悲しいニュースが流れています。
どこまでも暗い、つらい気持ちから逃れることができずに苦しんでいる方々がすごく多いのですね。
瞑想教室
私は以前、オンラインの瞑想教室に入っていて、誘導瞑想を何度か受けました。
瞑想していても自分がなかなか集中できなくて、たいして深い意識まで行けなかったことが多かったのですが、それでも数回、これは?と思うことがありました。
誘導瞑想では例えば、自分の過去の子供時代の楽しかった記憶に戻っていき、その時感じていた幸せな感情をもう一度感じてみたり、その同じ幸せな感情を未来の自分が再び感じているという状態を想像したりしました。
別の瞑想では美しい海の映像を見て、自室で潮の香りがしたこともありました。
情景の記憶の中の臭覚の記憶が呼び起こされたのかもしれませんが、とても不思議な感じがしました。
過去世の自分?
ある日、同じ師による誘導瞑想で「自分が生まれてくる前の過去の記憶へ戻る」ということをしました。
その時に見えた記憶が自分の過去なのか未来なのか、はたまた自分が創りだしたものなのかは今ではよくわかりません。
その時の情景は自分が弥生時代のような農耕民族のところに生きていたようで、みんなが白い服を着てコミュニティーか大家族で質素に暮らしていたようでした。
いよいよ自分が高齢のおばあちゃんになって床に伏し、2~3人の白い服の人たちに見守られて自分は今、死に向かっているという状況でした。
見守ってくれている人たちの中で1人だけ顔を鮮明に覚えているのは、眉毛の濃い若い男の子でした。親しみのある顔だったので、その時の自分の身内か孫だったのかもしれません。今の現世の自分の下の子に少し似ていました。
心配そうにその子たちに見守られ、私は言うのです。
「ああ、人生楽しかった。ありがとう。悔いはない。本当に気分が良い」
そう言って死んでいったのです。
その時の感情はからだに痛いところがなく、死ぬことは怖いことではなく、すごく穏やかで、感謝の気持ちでいっぱいで幸せでした。
「感情」だけが持って死ぬことのできるもの
先日自分の誕生日を迎えました。
「あと何年生きるかなあ・・・?」と公園の散歩中に心に問うたら、なんと、「やっと半分だよ」と返ってくる言葉がありました(もちろん頭の中でです) 笑
本当にあと50年生きるのなら、その人生の後半戦、からだもきつくなっていくでしょうし、頭も鈍くなるかもしれません。
数年前の私なら年齢を重ねることに気が重く、前向きに考えられなかったことでしょう。でも今の私ならゲーム感覚で前向きにステージクリアをしていこうと思っています。
今までたくさん失敗をしてきました。ですが成功体験もあります。
その両方を上手に上手に合わせて、まだまだいろんな経験と体験を重ね、残りの人生で少しづつ何かを作り上げていければいいなと思います。
何が出来上がっているかなんて、死ぬ時でないとわかりませんよね。気負わずチャレンジあるのみです。
前述の「私」が死んだとき、ただ白い服を着ているだけで、家も財産も何も持って死ぬことはできず、たった1人でこの世の生を終えていました。
ですがとても温かな、幸せな感情に包まれていました。
だから私は「感情」だけが持って死ぬことが出来るものだと思うのです。
今の私はその鮮明に見た光景どおりの自分になれるように、いつも自分の感情に気を付けて大切にして、心地いいことを選んで毎日の生活を丁寧に過ごしていけたらいいなと考えていますし、その努力をしていこうと思っています。
いつも癒される心地いい音楽を聴いて、美しいものを見て、かぐわしい香りをかいで、
何か気分の悪いことが起きた時は、自分の中の何かを変えてトランスフォームを計り、目の前で起こる現実を変えていくのです。
そしてもちろん、人さまの感情も大切にしてあげようと思っています。
みんながいつもいい気分で過ごすことが出来れば、周りと調和することができ、困った時は不思議な助けの手も降りてくるかもしれません。
今回のお話はここまでです。謎の独り言にお付き合いくださり、ありがとうございました。
あなたの何かのお気づきになることができれば嬉しいです。
(屋外写真は中之島バラ園より、2020月10月撮影。)